16年前の今頃、わたしは、
初めての出産で、「ウンウン」うなっていました。
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話がちがう!無痛分娩のはずが!!
母が、痛がりの娘を思い、無痛分娩の病院を選んでくれたのですが、子宮校が4センチになるまでは、麻酔は打てず、
よせてはかえす痛みに耐えて・・・・・。
1月6日の朝4時半に本格的な陣痛が来て、麻酔が入れられるようになったのが、
7日の昼頃。
つまり、丸1日陣痛がきたり引いたりの繰り返し。
7日は夫の誕生日だから、
「同じ日に産まれるね^^」
と喜んでいたのに、麻酔を入れた途端、子宮が開かなくなり、トホホ。
分娩室にすぐ変わる部屋が2つある、その病院は、人気があり、ひっきりなしに、
妊婦さんがもう一つの部屋で出産していく。
いつ麻酔が切れるのかわからない!!
無痛分娩とはいえ、先生は一人なので、他の妊婦さんが出産する間は、麻酔が切れても看護師さんは、
「麻酔は先生にしか打てないんで。」
と、涼しい顔で。
当時、まだ無痛分娩の産院は少なかったので、その病院は人気があり、
LDRという、陣痛と分娩が同時に出来る部屋が2つあり、
そのうちの一つにひっきりなしに、妊婦さんが入り、でも先生は一人。
つまり、「麻酔がいつ切れるかわからない。」という恐怖。
出産の痛みを、「鼻の中からスイカを出すような。」
という人もいるけど、わたしの場合、
「身体の中で地震がおこり、地割れがおこり、身体が真っ二つに
引き裂かれるような痛み。」
でした。
そんなん出来るなら、もっと早くやってよ~
そしてついに、8日の夜になり、先生が、
「あなたも、もう限界でしょう。」
といい、吸引する事に。
たった、2回の「いきみ」で息子は産まれました。
やっと会えたね!!黒い瞳は、まるで宝石
へその緒がつながった状態で、息子を抱きかかえ、
「やっと会えたね。」
と言ったとたん、右目が開き、そして左目が開き。
真っ黒な瞳でじっと、
「あーママってこんな顔してたんだね。」
って感じで見つめられました。その瞳はこれまで見た、どの宝石より美しかったです。
色々ありましたが、今では
あれから、16年。
あんなに小さかった息子は、今では、家族の中で一番背が高くなりました。
出産後も夜泣きが3歳まで続き、2時間以上連続で寝れない時期をすごしたり、
小学校から、息子が投げたボールがお友達の顔に当たり、前歯が欠けたと、
連絡があったり、
スーパーにいけば、シャンプーやリンスを片っ端から棚からお落としたり^^;
色んな事があったけど、今は、両親がけんかすると、どちらの気持ちも理解し
、解決策を提案してくれたり、
お弁当箱を出す時、「美味しかったよ。」とぽつりと言ってくれる子に育ちました。
息子よ。
わたしを母にしてくれてありがとう。
今日でわたしも、母親16年生になりました。
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